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poco a poco

すこしずつ、頑張ろうってことです。

明日もいつも通りに

 

夢の中のまっすぐな道、ようやく聴き始めた。といってもまだ前半しか意識して聴けてないけど、青い光とか明日もいつも通りにとか、良い。

 

今日は映画を観に行った。本当は11時半からAMY観て、また昼にシング・ストリート観ようと思ってたんだけど、確か昨日寝落ちした上にぐだぐだしていたので結局17時からのAMYを観に行くことに。

 

それまで時間空いちゃうなと思って、なんとなくアコギを久しぶりに触った。いつぶりなんだろう…。ちなみに買ってもらったのは高校生、二年三年くらいの頃だった。でもいまだにろくに弾けないので、完全に宝の持ち腐れ状態。しかもなぜか、私ギター弾けないけど友達に借りたまんまになってるエレキと前住んでたところのゴミ捨て場に置いてあったのを譲ってもらったエレキも持っているので、三本も宝の持ち腐れ状態。

 

なんで持ってるのにやらないのかと言われたら、指が痛いからとか押さえられないからとかより、チューニングがめんどいからに尽きる…。本当に、クズすぎる意見で申し訳ない。真剣に楽器やってる人とかの怒りを買いそう。ごめんなさい。早くじゃんじゃん鳴らしたいんだけど結構チューニングってすぐ合わないしさ。一回全部合わせてももう一回やってみたらずれてたりするしさ。それがハードルみたいに思ってるところがちょっとあって、そこでも時間とられるし、時間空いた時に手軽にちょっとだけ練習、みたいにやるものではない気がしてしまってる。

まあ慣れればそれも早く済むようになるんだろうけど。チューニングの大事さがわかってないわけではなく。

というわけで久しぶりに触ってみた。「貴方の恋人になりたいのです」とか、譜面見ながらちょっとやってみたり…。そんなにめちゃくちゃ押さえるのに苦労してる感じではないけど、やっぱりきちんときれいな音を出すには程遠い…。弾き語り動画とかアップしてる人すごいなって思った(こなみかん)。

ちなみにボーカルのレッスンを通う前、実際私弾き語りをやりたい気持ちは一応あるので(元YUIファン)、アコギのレッスンにも通おうかなと思ってた。だから体験レッスンはまずアコギのほうに行ったんだけど、その時コード押さえて音は鳴らすのはできたから(最初だと鳴らせない人が多いみたいだけど、実際ちょっとは触ったことあったしな)、「鳴らせてるやん!練習すればうまくなると思うよ」みたいなこと言われて結局アコギは通わずボーカルだけ通うことにした。その時のアコギの先生、すごく関西弁でフレンドリーな方で結構印象はよかった。なんか見た目のイメージがあーくるの仲道さんっぽい感じやった。

あれからもうすぐ一年くらいたつんじゃないかと思われるけれど、私はまだこんな感じのままだ。。。今始めなかったら来年も弾けない自分のままだけど、今始めたら一年後にはギター歴一年の自分がいる。っていう考え方(?)好きなんだけどまだずっと前者ですね。

でも大学生のうちにギター弾けるように(何か弾き語れるように)なりたいなとは思ってる。たまにはこうやって「やるか」と思い立ったりして、その間隔が少しずつ狭まっていけば少しずつでもできるようになるかなあ。そのときはチューニングも丁寧に、頑張りましょう…。

 

そして映画。久しぶりのむーびっくす。「AMY」観ました。

 

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グラミー賞などを受賞しながらも27歳で夭折した女性ジャズシンガー、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー。

たぶん世代的なものがあって私はこの人のことを知らなくて、こんな映画があるって知ると同時に彼女の存在も知って。私自身歌うことは好きだし、特に歌で大きなことしたいみたいな野望とかはないけど、なんか刺激になったらいいなぁと思って観た。

音楽のジャンルとかも正直にわかでジャズとかあんまり詳しくないんだけど(ちなみに今教えてもらってる先生は多分ジャズシンガーの方)、まあ歌声がすごいなと思った。一息で歌う中でものすごく声の振れ幅がある歌い方をする感じ。

彼女は薬物やアルコールが原因で亡くなってしまうけれど、彼女の身を滅ぼしたのは結局、ある男性との恋だったんじゃないかと思った。もちろんパパラッチが執拗においかけまわしたりとかマスコミによって精神的に疲弊したのもあると思う。正直言ってその恋人にいい印象ないんだけど(薬物とか一緒になってやっていたし)、たぶんその恋が人生最大の恋だったんじゃないかと思うし、その恋がもっと違う人とだったらまた変わっていたんじゃないかという気がしてしまう。別に責任はその人にあるとまではいわないし、その人自身もエイミーも家庭環境にいろいろとあったみたいだったからなんというか。ただ、薬物や過食症に悩まされているエイミーのことを公に馬鹿にしていたコメンテーター?司会者?とかは本当に許せないと思う。それだけ、エイミーには認められた才能があったから標的になってしまったのだろうけど。外国はそういう、ネガティブなジョークについてやっぱり寛容なのかな。日本だったらそういうのもっと敏感というか神経質なんじゃないかなと思うんだけどどうなんだろう。公な立場の人が公の場で、人を馬鹿にしてそれを観客が笑ってしまったら、みんながその人をそうやって笑うことを許してしまうことになると思う。有名人だからって傷つけていい対象ってわけではないのに。

亡くなったエイミーを自宅から運び出して車に乗せる映像まで映し出されて、なんか生々しかった。プライベートなビデオ映像からライブ映像、テレビ番組の映像、インタビュー映像まで彼女に密着した映像を見せられてきて、今日現在の時点でも過去の人になってしまっているわけだし結末として死んでしまうなんてことは知ったうえでこの映画を観に来たんだけど、でもなんかああ死んじゃったんだ…って思ってしまった。確かな実感としてあったわけではないけど、いつの間にかもしかしたら「そこに生きている」みたいに感じていたのかもしれない。

だからちょっと今、なんとなくエイミーの写真とかを観るのが怖い。生をみせられたうえで死までみてしまった感覚。この映画を観終わることでエイミーは本当に「亡くなってしまった」ような感覚。そもそもリアルタイムで彼女の存在も死も知らなかった世代だからかもしれないけど。

 

そしてその帰り、借りてみました。セカンドアルバムのほうが闇が深そうだったのでとりあえずファーストアルバムのほうを…。

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いろんな音楽聴いてみたい。

シング・ストリートも音楽系の映画で、結構評判が良いようなので観たいなあと思ってる。

 

そして半夏休みなのでもっと日常のこととか書いていきたいと思います。はい。