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poco a poco

すこしずつ、頑張ろうってことです。

本が読めない

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本は好きだ。本屋や図書館をぐるぐると歩き回って、本を買ったり借りたりするのは好きだ。どの本が面白そうか、などと思いながら何度も同じ棚の前を通ったりしていつの間にか時間が経っていた、なんていうのも良い。

でも、本が読めない。

もちろん、買ったとき、借りたときは「よし、ちゃんと読んでやろう」と思っているのだが、なかなか読めない。読み終わらずに返した本、読み終わらないまま本棚で持て余されている本は何冊もある。勿体ない。せっかくの大学生活、たくさん本を読むべきだと主張する人間は世の中にたくさんいるだろうし、わたしだってそう思っちゃいるのだけれど、あれよあれよという間にそんなに読まないまま、大学生活の4分の3にもう突入してしまった。

そういえば、読書メーターをやっている。

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これが私である。みてみると記録初日が2014年12月13日、そして今まで読んだ本は26冊である。もしかしたら登録し忘れた本があるかもしれないが、数としては絶対的に多くはない。そしてちらほら、レポートのために読み切った本も含まれている。

 

ついでに、買ったりもらったりしたけれど現時点できちんと読み終わっていない本がこちら。

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この中にはひと口に読み終わっていない本、と言っても、ちょっとだけ読んでみたけどやめた本、それなりに読み進めたけど読み切れていない本、そもそもまだページをめくってすらいない本、昔一回読んだことがあってまた読もうかなと思って買った(けど「また」読まなかった)本などいろいろある。ちなみに「僕の短歌ノート」に隠れて若干見えづらいが「あなたが就職試験に受からない理由」という本は、いつぞやの帰省のときに父に読めと渡された本。これはそろそろ読まなければいけない時期にさしかかっているような気がしている。短歌や詩系の本は、そんなに続けて読まずともたまに気になったときにページをめくるとか旅行のおともにとか、そういった読み方もあると思うしこういうのはマイペースに読んでいけばいいかなと。

 

というわけで本が読めていない状況について提示してみたところで、なんで読めないのかについてちょっと考えたい。

そもそも小学校のころぐらいはわりと本を読む子だった。それこそアガサクリスティとかホームズとかその辺もそんなに熱心にではなかったかもしれないが読んだりしていた記憶があるし、ハリーポッターもちょうどブームが起こった頃だったのであの分厚いのを普通に読んでいた。あとそういえば赤川次郎が好きだった。小学校高学年のクラスでは先生の指示により読書記録をつけさせられていたし、自分でもそういうノートを作ったりしていた。中学校に上がるときは、図書館に文庫がたくさん置いてあることにうきうきしていた。そんな子どもだった。おそらく高校に上がってから、少しずつ読まなくなっていったのではないかと思う。しかし1年のとき同じクラスだった友達によれば初めて私の存在を認識したとき、わたしは三浦綾子の「氷点」を読んでいたらしいので、最初のころはそれなりに読んでいたかもしれない。あと辻村深月をその友達に教えてもらってから、辻村深月はだいたい読んでいたし、一時期村山由佳もわりと読んでいた。あれ、ここまで思い出すと私は結構本を読んでいたのかという気になってきたけれど、でも最終的な思い出として「本を借りても結局読まずに返してばっかりだったのに本の貸出数が学年でベスト何位かに入って図書カードをもらってしまった」という印象が強いので、それなりに読んでいたかもしれないが「借りてもなかなか読めない」という兆候はこの頃からあったと思われる。

なんで読まなくなったのか、と言えばいろいろなことが考えられると思うが、時間の使い方の問題は大きいと思う。小学生の頃の私はどう考えてもヒマだった。絵を描くかマンガ読むか本を読むか、そしてたまに進研ゼミをするかみたいなことしか学校以外で、私の生活の中になかった。中学校に入ると部活が忙しくなるが、朝の10分読書の時間などが設けられていたりとに本に触れる時間は一応あった。高校では朝読書の時間があったかは覚えていないが、勉強に加え、音楽を好きになったりカラオケに行ったり携帯を持ち始めたりと、時間を割いてやろうと思うものが増えた。そして今、バイトはあるしカラオケは行くしライブは行くしテレビは観るし映画も観るしブログ更新するしツイッター監視するしツムツムやるし...というわけで、ますます読書に割く時間は減ってしまっている。ツムツムも、基本的には1分のゲームなのにスキルが上がったり慣れて上手くなってきたりすると時間は伸びるし、そして友達がハートをくれたりもするし、でなんだかんだいつの間にか想像以上の時間が経っていたりする。

こう考えると、わたしの時間における読書の比率が下がってしまったのはその代わりに好きなことややりたいことが出てきたからだと言えるし、それはそれでいいことである。でも「他のやりたいことのために時間使いたいし読書なんてしなくてもいいや~」とは私は思っていないし、実際他のやりたいこととだいたい同レベルで本もちゃんと読みたいと思っている。何なら洋書とかも読みたい。

やはり読めないのは時間だけの問題ではない気がする。現に私は、さっき挙げたように「読みかけたけど読み切れなかった本」を何冊か持っている。それぞれの本にかけた中途半端な時間でも、合計すればそのうち何冊かは読み切れるくらいの時間になったのではないか。じゃあなんで読み切れなかったのか。

 

まず一つに考えられるのは、本一冊を読み切るまでの道のりが遠く感じられることである。徐々に読まなくなってしまって今に至るので、本を一冊読み切ることに対するハードルも少しずつ高くなってきてしまった気がする。速度として実感したことはないけれど、ブランクにより読むスピードも遅くなっているのではないかと思う。そして自分の現状について「本はもっとたくさん読むべきなのに、読めていない。もっとたくさん読みたい。」という意識があるため、「その本を読むこと」より「まず一冊本を読み切ること」が目的になってしまっており、なかなか読み進められないとなんだか焦るし、達成感を感じられるまでが遠いのでモチベーションも途切れてしまう。

さらに、アナログの敵と言わんばかりにたいていこういう話題のときは悪者扱いされている気がする、ネットの利用ももしかしたら少なからず一因として挙げられるのかもしれない。わたしはわりと暇な時にnaverまとめをみる人間であるが、ネットで読める文章というのはたいていがそう長くはないものである。むしろだらだらと長い文章は、特にスマホだと画面も小さいし液晶画面で目も疲れやすいような環境で、読みたいとは思わないだろう。そしてネットは情報の種類がたくさんあり、いくつものことについて短時間で情報を得られる。そんな中では、同じような内容でもやはりなるべく簡潔にすぐ読める記事を読みたいと思うものなのではないだろうか。ネットニュースはやはり新聞に比べて、素っ気ないイメージがある。そうして短い文章ばかりに触れていることで、長文に対する耐性が失われてしまったのではないか。本一冊を読むときにそれなりに時間をかけて読んでも、思ったよりページが全然進んでいないとイライラする。ネットだと同じ時間をかけても、もっといろいろなことを調べられて、知れて、効率がいい。本だと本当に限定的にしか知識を得られない上、貴重な時間もとられてしまう。そんな風に考えてしまう頭に、なってしまっているのではないか。でも内容的に考えるとネットで見知ったことのうちにはわりとしょうもないことも多かったりして(そもそもそこにあるものがしょうもないというより、暇つぶし程度に楽しむためにしょうもないものを選択している。というかネットで小難しいことについて読もうという気になることがあまりない。少なくとも私はそうである。)、結果どっちの方が有意義な時間か、を考えると逆転する場合もあるだろう。ていうか逆転すると思う。

 

そしてもう一つ、本を読み切れない理由としては、「面白いと思える、本を読むことを好きになれるような、その時の自分に最高に相性のいい本」になかなか出会えないということがある。こうやって言うとハードルをまた自分で上げすぎているような感じもするが、やっぱり面白い、楽しいと思わないと何事も続かないものである。一冊、読み始めてみた本があんまりおもしろくないな、と思うと読書自体が面白く思えなくなってくる。逆に本を読むことが好きでたくさん読んでいたあの頃は、いろんな本を読んでいた気がする。本を読むことが好き、本が好き、と思えればどんな本でも本なのだから許容範囲に入るのかもしれない。そうなれば好循環だが、対して「読んでみた本が面白くない」と思うと、本自体が好きじゃなくなるし手も伸びなくなる、という悪循環に陥る。でもなぜかわたしは手だけ伸びる。それはそれでなんなのかよくわからないけれど、本に対する期待だけは完全に失っていないのだと思う。

面白い本は、読み始めたら基本的に時間を忘れて読んでしまうものだ。文章が長ったらしくて、とかページ数がどうのとかも思わない。こんな風に本をなかなか読まなくなった私でも、たまにそういう本に出会って、「今まで読めない読めないと思ってたのは何だったんだ」と思うくらい夢中になって一冊読み切ったりすることがある。思うに、なかなか読み進められないなあと思っていた本はわたしの「面白い」にハマりきれなかった本で、なかなか読み進められない人間だと自覚するようになったのはそういう読み進められない本にばかり出会ってきたからであって、たぶんわたしの「面白い」と思う本の範囲もなかなかに狭まってしまっているのかもしれない。そしておそらく趣向も変わった。最近は、女性作家などが描きそうなとりたてて大きな出来事は起こらない日々の物語(短編集など)だったり、いかにも「文学的」とかいえそうないちいち主人公の感情などの描写が長かったり表現がまどろっこしい文章(特に恋愛ものなど)だったりがあまり面白いと思えなくなってきた気がする。

逆に、「なかなか読めない自覚」が生まれてから面白いと思った本は、例えばこんなものがある。

 

ためらいもイエス (文春文庫)

ためらいもイエス (文春文庫)

 

山崎マキコさんは、この本を読んで好きになった。文章が気取ったりしておらず、親近感が湧くような読みやすいもので、面白い。どこか湿っぽい、いい意味でというのは分かるけれども読んだらすこし心が重たくなるような文章じゃなくて、カラッと明るくてライトな物語、文章が今の私にとって読みやすいものなんだなと思った。

 

ひらいて (新潮文庫)

ひらいて (新潮文庫)

 

 綿矢りささんはもともと好きだけれど、この人も文章のテンションは若めで湿っぽさはないから、たぶん読めるんだと思う。「ひらいて」は読んだときわりと衝撃だった記憶。

 

私を知らないで (集英社文庫)

私を知らないで (集英社文庫)

 

 あとこれもわりと好きだった。始めて読んだ作家さんで、ページ数もそれなりにあった気がするけれど面白かった。確か横浜行く夜行バス待ちのときに読んで、旅行中で読み切ったような。

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

 
 

 

 そしてだいたい、エッセイは読みやすい。中でもちょっとひねくれていそうな(笑)、「ひとり」を楽しむことができる人のエッセイが好きだ。どちらかというとわたしがそっち寄りだから。あと作家じゃない、他のエンターテイナーの人の文章って面白そう。やっぱりいい意味で軽くて読みやすいものがいい。

 

というわけで読めない理由をいろいろ考えてみたけれど、やっぱり読もうとは日々思っている。つい先日、春休みに借りていた本5冊を全部読み切れないまま返したけれど...。

 

でもまだ読みたいという気持ちはあるし、読まなきゃいけないという気もするし、そういう思いがあるうちはまだ、中途半端でも、大丈夫だと思いたい。少しずつ、読み切れるような本に出会って、読書を好きになっていけたらいい。読みたいと思う気持ちを大事にする。

 

・・・

 

水曜日に更新します!とかいいつつ実質木曜日更新になってしまっていますが、私が眠りにつくまでは水曜日なので、そこのところ了承お願いします。

…とか言う前にもっと早めにやれって感じですね。はい。頑張ります。

そしておやすみなさい。

 

 

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